江戸時代中期に行われた政治改革「正徳の治(しょうとくのち)」。新井白石の主導で進められたこの改革は、財政や外交に大きな影響を与えました。本記事では、正徳の治の内容をわかりやすく整理し、試験対策にも役立つようにまとめます。
正徳の治とは?
新井白石が主導した江戸幕府の改革
「正徳の治(しょうとくのち)」とは、江戸時代中期に**新井白石(あらいはくせき)**が中心となって行った政治改革のことです。新井白石は、もともと儒学者であり、学問と正義を重んじる人物でした。六代将軍・徳川家宣の信任を得て幕政に参加し、その後の七代将軍・家継の時代にも改革を主導しました。
彼の改革は、貨幣制度の見直し、外交の整理、儒学に基づいた政治の実施といった点が特徴です。当時の幕府は財政難や外交上の課題を抱えており、白石はそれを立て直そうとしました。
正徳の治が行われた時代背景(六代将軍・徳川家宣~七代・家継の時代)
正徳の治が行われたのは、1709年(宝永6年)から1716年(享保元年)ごろにかけての時期です。六代将軍・徳川家宣の時代に始まり、その子・七代将軍・家継の治世に続きました。
この時代は、五代将軍・徳川綱吉が亡くなった直後であり、幕府の財政は厳しく、人々の生活も困窮していました。また、金銀の品位を落とした貨幣(元禄金銀)が流通しており、物価が混乱していたことも大きな問題でした。
そこで家宣は、学識に優れた新井白石を登用し、幕府の立て直しを命じました。白石は将軍の信頼を背景に、貨幣の改鋳や外交の改革、道徳的な政治の実現を進めていったのです。
正徳の治の内容
貨幣の質を元に戻した「正徳金銀」
五代将軍・徳川綱吉の時代には、幕府財政を立て直すために金や銀の含有量を減らした貨幣(元禄金銀・元禄小判)が大量に発行されました。これによって一時的に幕府の収入は増えましたが、貨幣の価値が下がり、物価が大きく乱れる原因となりました。
新井白石は、この混乱を正すために**金や銀の純度を高めた貨幣「正徳金銀」**を鋳造しました。これにより物価は安定しましたが、同時に幕府の収入は減り、財政の苦しさは残りました。
朝鮮通信使の待遇を「慶賀使」に変更
江戸幕府は、徳川家康以来、朝鮮王朝と友好関係を保ち、将軍が代替わりするたびに「朝鮮通信使」が来日していました。従来は「将軍の就任を祝うための使節」とされていましたが、これは幕府が朝鮮よりも下の立場にあるように見えてしまいます。
新井白石は、幕府の威信を高めるために、朝鮮通信使を「将軍就任を祝う使節」から「徳川将軍に慶賀を伝える使節(慶賀使)」へと位置づけを変更しました。これにより、形式上は幕府が上位の立場にあるように見せることができました。
海舶互市新例(外国船の来航制限)
江戸時代は「鎖国」と呼ばれる外交体制のもと、オランダや中国との貿易だけが長崎で許されていました。しかし、当時の金銀の海外流出が深刻な問題になっていました。
そこで新井白石は、「海舶互市新例(かいはくごししんれい)」を制定し、外国船の来航回数や貿易量を制限しました。これにより、貴重な金銀の流出を防ごうとしたのです。
儒学を重んじた政治姿勢
新井白石はもともと儒学者であり、政治にも儒学的な理念を取り入れました。具体的には、
- 贅沢を避け、倹約を重んじること
- 学問や道徳を大切にすること
- 武士の規律を正すこと
といった方針を打ち出し、**「正しい道徳に基づく政治」**を目指しました。こうした考えは、後の「享保の改革」で徳川吉宗が実施した政治にもつながっていきます。
正徳の治の成果と限界
幕府の権威回復につながった点
正徳の治の大きな成果は、幕府の権威を立て直したことです。
- 朝鮮通信使の待遇を「慶賀使」に改めたことで、対外的に幕府が優位に見えるようになった
- 金銀の質を戻すことで貨幣の信用が回復し、経済活動の混乱を一時的に抑えた
- 道徳や学問を重んじる姿勢を示すことで、政治に「正しさ」を取り戻そうとした
こうした取り組みは、五代将軍・綱吉の時代に失われていた幕府の信頼を回復するきっかけとなりました。
経済的には長続きせず、享保の改革へとつながる
しかし、正徳の治には限界もありました。
- 貨幣の質を戻したことで、幕府の収入は減少し、財政難は解決できなかった
- 貿易制限によって金銀の流出は抑えられたものの、経済の活性化を阻害する面もあった
- 家継の死後、八代将軍・徳川吉宗が登場すると、新井白石は政治の中心から退き、その政策も多くが廃止された
このため、正徳の治は短期間で終わり、幕府の財政再建という大きな課題は残されたままになりました。
正徳の治から享保の改革へ
正徳の治は、幕府の政治を道徳的に立て直そうとした試みであり、後の「享保の改革」へとつながる重要なステップでもありました。吉宗が進めた政策の中には、新井白石の考えを参考にしたものもあり、**「正徳の治=享保の改革の前段階」**と捉えることもできます。
まとめ|正徳の治をわかりやすく押さえるポイント
「正徳の治」は、六代将軍・徳川家宣と七代将軍・家継の時代に、儒学者の新井白石が主導した政治改革です。
ポイントを整理すると次の通りです。
- 主導者は新井白石(儒学者出身の政治家)
- 貨幣改革:金銀の質を元に戻し、物価の安定を図った(正徳金銀)
- 外交改革:朝鮮通信使を「慶賀使」として格を下げた
- 貿易政策:海舶互市新例で外国船の来航を制限し、金銀の流出を防いだ
- 政治理念:儒学を重んじ、倹約と道徳を大切にした
成果としては、幕府の権威回復や貨幣の信用改善が挙げられますが、財政難を解決できず、政策の多くは短命に終わりました。
それでも、後の享保の改革(徳川吉宗)へとつながる前段階として、日本史を学ぶ上で重要な意味を持っています。
👉 試験では、「新井白石」「正徳金銀」「朝鮮通信使の待遇変更」「海舶互市新例」の4点を押さえておけば安心です。
一問一答|正徳の治の要点チェック
Q1:正徳の治を主導した人物は誰ですか?
A1:儒学者の新井白石です。
Q2:正徳の治が行われたのは、どの将軍の時代ですか?
A2:六代将軍・徳川家宣と、七代将軍・家継の時代です。
Q3:正徳の治で行われた貨幣改革を何といいますか?
A3:正徳金銀(貨幣の質を元に戻した)です。
Q4:朝鮮通信使に関して、新井白石が行った改革は何ですか?
A4:「将軍就任の祝賀使節」から「慶賀使」に位置づけを変えました。
Q5:正徳の治で制定された、外国船の来航を制限した法令は何ですか?
A5:海舶互市新例です。
Q6:正徳の治の成果と限界を一言でまとめると?
A6:幕府の権威を回復したが、財政難の根本解決には至らず、短期間で終わった。